SPECIAL01

大洋システムテクノロジー
ブランドアンバサダー

太田雄貴氏
特別インタビュー

PROFILE

1985年
京都府生まれ。小学3年生でフェンシングを始め、小・中学共に全国大会を制覇。高校時代にはインターハイ3連覇を達成した。
2004年
アテネオリンピックで9位
2006年
アジア大会(カタール)で金メダル
2008年
北京オリンピックで日本のフェンシング界初の銀メダルを獲得
2012年
ロンドンオリンピックで銀メダル(男子フルーレ団体)
2015年
フェンシング世界選手権(モスクワ)で優勝
2016年
現役選手を引退。 国際フェンシング連盟理事に就任
2017年
日本フェンシング協会会長に就任
2018年
森永製菓を退職。国際フェンシング連盟副会長に就任
(任期は2020年12月まで)
2019年
大洋システムテクノロジー ブランドアドバイザーに就任

日本のフェンシング界に史上初のオリンピックメダルをもたらし、大きな感動を与えた太田雄貴氏。2017年からは日本フェンシング協会会長に就任、さまざまな改革に取り組んでいます。当社の会長である蕭敬如会長とはかねてから交流があり、2019年3月1日から、当社のブランドアドバイザーに就任していただきました。フェンシング界のみならず、スポーツの新しいありかたを先導するリーダーとして活躍する太田さんに、その考え方やフェンシングへの想いをうかがいました。

得たのはフェンシングという居場所

私がフェンシングを始めたのは小学3年生のとき。父のすすめでした。しかし最初からフェンシングが大好きになり、夢中になったというのとは違います。スポーツ選手にはそういう方も多いと思いますが、私の場合は、「これは自分に向いている」という感覚でした。実際に競技をして「なんとなく自分に合う、勝てる」と感じたのです。そして実際に勝ち、ほめられることがうれしくて打ち込みました。自分の居場所を見つけたと言ってもいいかもしれません。フェンシングという競技そのものが好きになったのは、勝つうえで壁にぶつかり始めた21歳くらいからです。

蕭会長との交流が発展、
ブランドアンバサダーに

蕭会長とご縁があって知り合って以来、経営や時代情勢についてお話をうかがってきました。元々ビジネスにも関心があり、こうした親交の中で学ぶことは数多くありました。フェンシング協会の理事に欠員ができたのを機に2018年、蕭会長を理事の一人としてお迎えしました。一方、私がフェンシング協会会長に就任し、協会の運営に取り組む姿を見て、会長は企業経営との共通点を感じてくださったようです。そこから大洋システムテクノロジーのブランドアンバサダーというお申し出をいただき、2019年からお引き受けすることになりました。

メダルに向かって一直線に走った選手時代

競技を始めたときから、オリンピックでメダルを取ることを目標にしていました。フェンシングで、日本初のメダリストになる。これは歴史に残る、やりがいのあるチャレンジだと思いました。
 メダルに向かって一直線に走ることを最優先しましたから、友人との飲み会、アルバイトなど、普通の学生がするような生活は一切捨てました。目標を果たすには、身体的な技能を超えた戦略も必要です。国際試合に出場してわかったのはフェンシングが日本人に不利であること。ヨーロッパ発祥の競技であり、アジア人は新参なので、判定にそれが影響することもあります。ですから勝つためには、審判とのコミュニケーション、外国人コーチとの情報交換などにも力を入れる必要があります。そうしたことを含めた総合的な勝負の結果として、北京での銀メダルがあったと思います。

フェンシング人気を高めるために
力を尽くす

 現役を引退し、日本フェンシング協会の会長となった今も、コンセプトや目標を定め、そのためにすべきタスクを決め、実行して、結果を検証するというやりかたは同じです。私は決断に感情的な要素は入れません。だから迷いもありません。
 フェンシングの人気をより高めるために、組織づくりやマーケティングに取り組んでいます。多くの方にフェンシングを体験してもらったり、企業と組んでイベントを開催したり・・・。それが結果的に競技人口の増加にもつながってほしいですね。2020年の東京オリンピックという大きな波を受け止め、オリンピックが終わった後も、人気が継続する形にしたいと考えています。

羊ではなく、羊飼いになることの意味

 日本人は与えられたルールに従う意識は非常に高いと思います。しかしルールは常により良いものへと改善されていくべきものです。ところが日本人の多くはルールの改善や策定に参加する意欲が薄い。いわば、羊になることには熱心なのに、羊飼いになりたがらないようなものです。しかしグローバルに活躍したり、物事を大きく動かしたいなら、それではむずかしい。私は、国際フェンシング連盟の理事を経て副会長になり、少なくとも羊飼いのそばで影響を与える位置にいますが、その目から見て日本全体が今、この岐路に立たされていると感じます。

「この指とまれ」を言える人になる

 そんな私から若い人たちにアドバイスするとすれば、二点あります。
 一つは、どんなことでも良いから専門性を持つこと。好きで深掘りできることがあれば、それは武器になります。「これについては彼に尋ねよう」と思ってもらえる存在になることです。
 もう一つは小さなことでも、「この指止まれ」と、企画・立案から行い、行動し、検証する経験をすることです。ぜひ、指をつかむ側でなく、最初に指を出す側に回る経験をしてほしい。その結果、失敗してもかまいません。それが必ず次につながります。
 もちろん全員が「この指止まれ」側になるのでは物事は進みません。あるときは指をつかむ側、あるときは指を出す側というように、プロジェクトごとに所を変える発想も必要です。その意味でも専門性は非常に重要だと思っています。